しばらくして、尚が、鈴に先導されて戻ってきたものの、
その顔からひどく落ち込んだ様子が伺えて、声をかけようにもかけられず、
「さっきはどこへ?」と鈴に尋ねると、
「ちょっと外に出てたよ。泣き止んではくれたけど……それから見たとおりのまま」
すかさず三時間目が始まるチャイムが鳴り、もう一度尚のほうを向く余裕すら得ることなく、
そのまま自分の席へ座った。

三時間目の数学で、有山先生が熱心に、連立方程式の代入法について説明してる間、
一度解いたものの、途中式を間違えたために解答が大きくズレてしまった、長ったらしい文章題に再挑戦するかのように、
僕はずっと、捜査が振り出しに戻ったこの事件を考え直していた。
僕らは、中瀬の証言の「友人に財布のことを話した」というくだりから、
その財布の事を聞いていたものを消去法であぶり出し、
さらに谷村の「鍵をどこかに落とし、探したが見つからず、谷村や中鵑戻ってきたときには鍵が開いていた」という証言により、
「落とした鍵を誰かが拾って開けた」ということになるため、
すなわち「財布の事を聞いていた者+中鵑教室に戻ってくる以前に教室にいた者」が、
財布を盗んだ真犯人だ、と考えた。
結果、中瀬が教室に戻ってくる以前に教室にいたものは三人で、
見事にその三人と鍵を拾ったやつはビンゴしたが、彼らが鍵を空けている間、第三者が近くにいて、
とても財布を盗むような状況ではなかったという。
この証言は、きっと事実として受け入れられたまま終わるだろう。
その第三者とやらに裏づけを取れば、この三人が嘘をついているかどうか、すぐにわかってしまう。
目撃者がいるという、高いリスクを背負うような嘘をついてくるとも考えにくいし、たぶん、正規の事実だ。
ここで一つ、中鵑痢崔脛鵑入ってきたとき、教室には三人しかいなかった」という言葉と矛盾点が生まれるが、
そんなもの、その第三者がトイレかどこかへ行っていた、という証言が浮かべば、簡単に穴が埋まってしまう。
確実な証拠とは言えない。
よって、この三人は殆どの確率でシロ、ということになってしまうわけだが……それと同時に、僕らの捜査も、白紙に戻ってしまった、というわけだ。

「どこか、俺らに間違いがあったのか?」
やれやれ、そんなことを考えていたものだから、
全く授業の内容を聞いておらず、授業の最後の最後に僕が指名され、あせってしまった。
上昇した心拍数が徐々に落ち着いた頃、信が僕に話しかけた。
「せっかく『犯人だ!』ってところまで辿り着いたのに〜……あたし、もう何が何だか……」
鈴も、少し落胆しているようだ。
床に膝をつけて、僕の机に顔を突っ伏したまま、動こうとしない。
後ろで何も喋らない尚は、顔つきは元に戻ったものの、尚を取り巻くオーラのようなものが、
感情の起伏の反動からなる弱々しさを、それとなく感じさせた。
「尚、大丈夫?ごめんね、僕が頼りないばっかりに……」
「いえ、一くんは悪くありません。悪いのは、これでも平気で嘲笑っている、真犯人です」
どうやら、表面上は大丈夫そうだな。
悪に対しての憎悪が増しているようだ。内面的なコントロールがうまく出来ていない、ということなのだろうか。
「俺たちの考え方に間違いが……?」
「でも、間違ってるところなんてないですよ。それだから、ここまで来れたんじゃないですか」
「だよなぁ……」
間違っていない、と信じたいが……
「この状況を打開するには、考え方を変えるしかないね」
「そうだな。だが、どこから変えればいいのか……」
今までの推理は、一応筋が通っていて、なかなか曲げにくい。
固定概念から逃げ出さなければ、この迷路からは抜け出せないだろう。
「変えるとするならば……例えば、中鵑気鵑虜睇曚盗まれたかどうか、というところはどうでしょう?」
「どういうこと?」
「実は盗まれておらず、中鵑気鵑亮作自演なのかもしれません」
自信なさげに、尚は考えを述べた。
そういや、その考えは思いつかなかった。
「俺らは、ありもしない事件に踊らされている、ってことか……」
「そうです。その可能性はありませんか?」
目で訴えてくる尚。
「……可能性はゼロじゃないけど、多分自作自演の線はないと思う」
「どうしてですか?」
「まず、リスクの高さ。ここまでクラス全体で騒ぎになって、実は自分が持ってました、だなんて言ったら、
 今度は中鷦身の信用性がガタ落ちするでしょ」
僕は、尚がそれなりに納得していることを確認して、続ける。
「そして、中鵑それをすることで生じる、中鷦身のメリットがないんだよ」
「でしたら……中鵑気鵑谷村さんを何らかの理由で恨んでいる、ということならどうでしょうか?」
鈴が、重い頭をあげ、
「中鵑虜睇曚鮹村が盗んだことにして、谷村の信頼を下げる、ってこと?」
「そうです。それなら、筋が通りませんか?」
僕は、小さく溜息をついて、
「それもない。元々、中鵑谷村に恨みがあったとして、信頼を下げるために自演をした、と言っても、
 谷村自身、そこまで皆からの信頼が厚いわけじゃない。
 昨日のことがあって、谷村は落ち込んでいるけど、それは普段、人から責め立てられることになれてないからだよ」
信頼が薄いのは、谷村は学級活動でも、日常でも、誰かに貢献できるような活動をしているわけでもなく、
何かの舵を取ったり、リーダーとして指示するようなことがないからだ。
つまり、信頼性がないというよりは、存在感が薄いといったほうがいい。
実際、谷村は、普段からいじめられているわけでもないのに、昨日のみんなの責め方は、集団いじめに見えなくもない。
それだけ、今までみんな、谷村という存在に目をおくことをしなかったということだ。
そんな谷村を、こういった形で陥れようとしたならば、ちょっと、策略ミスだと思うけどな。
「それに、谷村の信頼が無くなったからといって、自演していたことがバレれば、
 中鵑諒の信頼が減るだけで、谷村の信頼は回復されることになる」
「つまり、リスクがなおさら高くなる、ってことだな」
「そう。しかも、自作自演だったら、三万円入っていたことや、お兄さんのイタズラのことは全部嘘ということになる。
 嘘をつくことで、もっとリスクが高くなってしまうってわけ。そんなリスクを冒してまで、谷村に恨みを晴らすかな?
 僕だったら、もっと安全な策を考えるけど」
「…確かに、ごもっともです」
理由はまだある。
自作自演だった場合、藤野がしゃしゃり出る必要性がなくなるからだ。
もし、中鵑谷村を陥れようとするなら、中鵑自分から責め立てるべきである。
それなのに、中鵑脇L遒騒いでいた横で、ただぼーっと傍観していた。
これでは、一体何故、藤野があれだけ騒ぎ立てたのかが……って、あれ?
そういや、何で藤野が輪の中心にいたのか、理由はわかっていないままだ。
何で騒いでいたのだろうか……
「じゃあさー、いっそのこと、盗まれてないことにしようよ」
「え?」
「みんなが教室で谷村をいじめてたとき、まだ盗まれてなかったってこと。
 そのときは自作自演だったけど、後になって本当に盗まれてた、っていう」
………
それはさすがに無理があるだろ……
僕の気持ちを信が代弁した。
「無理だろ」
「えー、なんでー?」
「あの騒ぎから放課後まで、中鵑粒鵑ら財布を抜き取る時間や余裕なんて、あったか?」
「それは……誰にも気づかれないように、そっと……」
「それが無理なんだよ。あの騒ぎで、中瀬の財布、特に鞄に、みんなの意識が集中していたんだ。
 それらの近くで人がごそごそ何かしでかしていれば、誰かが必ず気づくだろ?」
「むぅ〜……なるほど……」
そのとおり、当時『盗まれていなかった』なんてのは、絶対にありえない。
……ん?待てよ……?
「あ、逆ならありあえるかもね」
「逆、ですか?」
「うん。『盗まれていなかった』んじゃなく、『すでに盗まれていた』と考えるんだよ」
その『すでに』というのは、もちろん、あの騒動以前のことではなく、
元容疑者の三人が、鍵を開ける以前のこと、という意味合いだ。
『すでに盗まれていた』のであれば……
鍵が開く前にもう盗まれていた……そうすると、谷村の犯行を認めることに……
いや、待て。それはもう、ジメ谷証言があるんだ。今更、それを前提にして無罪を覆すことは無理だ。
ならば……
あっ……あの時、鈴が何か……
確か…………!
「そうか、しまった!」
つい、大声をあげていた。
突然の出来事に、三人の体はビクンと反応し、僕のほうに視線をやった。
「うわ、僕はなんて見落としを……」
「一、どうした?」
「忘れてたんだ!あのときの、鈴の言葉を!」
そう言って、僕は立ち上がり、倒れる椅子を気にもせず、早足で谷村の席へ移動した。
僕は、谷村の虚ろな目や、ついてきた三人にも構わず、
「谷村、確か昨日は、体操服に着替えた後、最後に教室を出たんだっけ?」
「う、うん。どうしたの?そんな怖い顔して……」
「谷村の前には、誰が教室を出た!?」
「えっ……何でそんなこと」
「いいから!答えて!!」
谷村は、僕の怒鳴り声にひるみながら、
「えっ……えーっと……芦屋くんと………藤野くん、かな」
藤野……!?
ここで藤野の名前が……まさか……
言われてみれば、藤野が騒いだ理由もわからず、
それでいて、谷村を一番責め立てたのは、藤野だった。
それに、谷村、中鵝藤野は、体育を見学していた。事件の関係者がそろい踏みしている。
元から、一番怪しい人物なんだ。それなのに、僕は、藤野の挑戦のことしか頭に無く……
突然、チャイムが鳴った気がした。
みんなが席についていく。本当にチャイムが鳴ったのだろう。
頭に神経を集中させていたから、聞こえるものも聞こえなくなっていた。
気がつけば、他の三人ももうその場にいない。僕は急いで、自分の椅子を戻しに足を進めた。


  

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